日本のもの作り

日本のもの作りの精神には謙虚さと『感謝』が詰まっているように思います。 いまだからこそ、日本のもの作りを見直すときなのでは。
目次
日本のもの作り
私達日本人も、今は忘れかけてしまっている、日本のもの作りの精神や、古いものからもらえる削ぎ澄まされたエネルギー。
ロボットが物を作れるようになった時代、それが悪いのではないですが、どうしてもコスト重視になったり、
早く正確に作れることがベストであったりと、日本のもの作りは精神というものをどこかに置き忘れてきたような感があります。
昔の職人さんたちは同じものを作るにも、使い手によって微妙に違うものを作っていった。
それは、使い手を思いながら、使ってもらうことに感謝をして作っていると、自然にその思いがそこに込めら、使い手が使いやすいものを作りあげていくといった精神世界の話につながっていくものかも知れません。
そうして出来上がったものは、見た目や寸法も同じであっても、使い手になじむように出来上がっている。
昔の日本のもの作りには『謙虚さと感謝』が込められているのではないでしょうか。
田舎にはまだまだある【日本】
なんども言っていますが、ここは東京都青梅市。
東京のかなり田舎です。
だいぶ少なくなりましたが、蔵があるお宅も多く、その蔵の中には『歴史』が詰まっています。
青梅市は江戸時代には青梅縞(おうめしま)という絹と綿を織った織物で、戦後は青梅夜具地という綿の織物で栄えましたが、
今だから昔のものに価値がりますが、昔は庶民的な宿場町。
石炭も彫られていました。
庶民的な街だった青梅に今も残る蔵の中は、やはり当時の庶民の生活が垣間見られるようなものが沢山あるのですが、
蔵を整理するのはとても大変なことで、触ったこともないものが、ぎゅうぎゅうに詰まっています。
逆に家を建て直す機会があって、蔵を整理して壊してしまった時には、あまり丁寧に見ることもなく処分されたものも多くあるそうです。
田舎の蔵には『日本の物』や当時のもの作りの精神を見ることができます。
私が結婚していた時の舅は鍛冶職人で、その道具はNHKやら道具の本の出版社やらが取材に来ていました。
舅は「自分はそれが仕事だからやってるだけだ」という調子でしたが、職人というのは、自分がやっていることが特別だとも思わず、ただただ物を作り続けているのでしょうね。
舅はそういう職人でしたし、その仕事は今となっては値段が付けられないくらい手間をかけているものでした。
思ったように出来るまでやるという感じです(笑)
日本のもの作りの仕事はすごいですね。
世界と日本のこれから
全くの私の私見です。
私が海外の業者と関わって仕事をしたり、海外の方達と話をするなかで、感じることは。
コロナウイルスはある意味平等に、それぞれの国に影響を及ぼしているわけですが、
なぜか、感染者の数や致死率や、様々、違いがあります。
暮らし向きや、生活習慣、食べ物、気候、、そういったことも原因するのでしょう。
ですが、それだけではスッキリしないところもあります。
それぞれの国の歴史や状況、得意不得意、などなど、無謀な言い方かもしれませんが、そういうことをそれぞれの国が見直す機会になっているのではないか、と思うのです。
過去を反省して、、ということではなく、今からどう世界を良くしていくかを考えた国や人は、
又ここから良い方向に向かっていくことが出来るのではないでしょうか。
日本はどうでしょう。
そう考えると、日本が世界のために出来ることは、『もの作りの精神を伝えていくこと』
他国に教えるとかということではなく、私たちがもっと、その精神を大事にして謙虚に感謝し、そして世界のものを送り出していく。
それは、昔のもの作りの職人さんや匠がしていたことです。
我慢強く、コツコツと、そして何があっても平常心を保とうとできる日本人は素晴らしいですよね。
ですが、どんな素晴らしいことも、使いかたを間違えたり、行き先を間違えると負のスパイラルに入ってしまいます。
皆が物を作るという意味ではないですよ。
でも私たち自身が、日本の物つくりの精神をもう一度思い出して、そこから自分の仕事につなげていくとか、
日本の物自体をもっと大事に思う事で、良いものを大事にしていく人生にもなるかも知れません。
もの作りは武道にも似たところがあります。
材料の声を聞きながら、一点一点つくりあげていくもの作りは、もしかすると無の世界に入った時に「これだ!」というものが出来上がるのでしょう。
そこを妥協せずに作りあげていく日本のもの作り。
世界に誇れる日本の製品をもう一度世界のために作りあげていくような感覚(精神や魂)が日本を良い方向に変えていくのでは、と思います。
皆さんのお宅にもきっと世界に誇れる日本の物が、眠っているかもしれません。
是非使って、息を吹き込んでくださいね~