人生は私たちのもの【私ではなく・・】

『人生は私のもの』か『人生は私達のもの』と考えるかで、人生は大きく違ってきます。
ついこの間まで、意気揚々と「オレの人生は俺のものだ~!頑張るぜ!」みたいに思っている人も多かったですし、それがカッコ良かったりしました。 ですが、こんなふうな風が吹いて世の中が、テーブルの上に持っているカードを全部並べて整理しているような状況の今、『私のもの!』と言う感覚自体に違和感を感じますね。
目次
- ○ 他人の考えた夢
- ・『つながり』から学ぶ
- ○ 私たちと考える自分
他人の考えた夢
「私の人生は私のものだから!」と言っていたこともありました。とても主体性のある言葉ですね。
ちょっとカッコよくも見えたかもしれません。
ところが、あの頃、今でいうメンターみたいな人は、すごくお金持ちだったり、ガンガン自分の思いを外に出す人で、
聞いているうちに、又は本などを読んでいるうちに、
その人の望む人生が自分の人生のような気がしてきたものです。
又は、一緒に仕事をしている先輩などが、お金周りが良かったりすると、その人の人生がどうしても自分と重なり、
いつの間にか価値観も似てくる。
これは無意識の意識が係わることですが、仲間や会社の同僚たちとなると、だんだん集合無意識となって、
自分自身がそう考えているかのように思いこむようになります。
段々と違和感を感じるものですが、ほとんどの人がその違和感を無視し続けます。
自分が望む未来とピッタリ重なっていると思い込んでしまいます。
そうして自分の違和感を無視し続けて頑張ってきたのが、今日まで。
今、それがベストと勘違いしていたことに皆が気づき始め、「自分らしく生きたい」という人がとても多いです。
他人の考えた夢は、自分の夢にはなり得ません。
ですから、自分がどうなりたいのか、
自分の希望は何なのか、もう一度整理することが大事です。
『つながり』から学ぶ
長い習慣や所属していた場所から学んだことが、観念となって染みついているので、
自分が自分のハンドルをしっかり握って、地に足をつけて生きるには、自分に合った『つながり』で、
「あ、なんかここ居心地が良さそうだなぁ~」と思ったら、まず人の話を沢山聞くことです。
「この人の考え方素敵だな」とか「この人のように出来たらいいな」という人の話を聞いて聞いて聞きまくる!(笑)
それから、その『つながり』で他者の生き方や考え方を見たり聞いたりすること。
そうしているうちに、自分が見えてきます。
「ここは同じだけど、ここは違うな」「私はもう少しこんな感じに思うな」そんな具合に自分の感情や思いや考えが見えてきます。
これって、自分一人ではできないことです。
人と自分を比べるのではなく、人を理解して自分が理解できてくるのですね。
個人的な思いですが、私はスピリチュアル的なことを信じていますが、
自分の人生において、過去にさかのぼって自分を探すのはあまり好きではありません。
場合によっては過去を見てセラピーが必要なこともありますが、
今が未来を創り、未来は過去を変えられると考えています。
前世療法や催眠療法も興味があり、若かった自分を探していたころに受けたことがあります。
確かにその時は、「あーだから私はこういう考え方だったんだ」と思い、自分を認めたり許したりできるのですが、
それでは今を見ることが出来ませんでした。
自己肯定感を上げるにはいろいろな方法がありますし、癒しは必要ですが、
人は人によって癒されるし、例えばお金の問題を抱えていたら、それはお金でしか解決できないと思います。
つまり、生活のバランスが取れる今を自分の力で作れるようになる必要があります。
その時に、過去に焦点を合わせるのではなく、今そこにいる人に癒されていることを知ったり、今選んだ『つながり』の中で、自分が行動できるようになることの方が、現実的ですし、今や未来に向かっての自信がついていきます。
過去に焦点を当てる自分探しは、これからの世界観とは少し違うような気がしています。
私たちと考える自分
私は比較的一匹狼的に生きてきたように思います。
人が好きですし、人に係わって仕事もしてきているのですが、人を思えば思うほど一人で考えリスクを背負う方が楽でした。
ですが、それも今までの時代だったから出来てきたことで、今までは物やお金が最優先された時代ですから、
気持ちとか心とか愛とかを優先させる方がつらかったと言えば近いかも知れません。
本来の自分とは全く違う鎧を着て、大切なものを守るためにだけ人と関わってきたということになってしまいますね。
そして、世界が変化するにつれ、違和感を感じたものです。
その頃、いつも『自分がどう責任をとるか』『自分がどう決めるか』そんな風に考えていたと思います。
ですが、今は生きるという事は『私たち』という感覚の方がしっくりくると思っています。
『私たち』というように考えると、物事を選択する時に、自分は一人なんですが、でも全体(私たち)と常に調和を取ろうとしている。
そして、その方がずっと楽で心地よいんだ、と気がつきました。
もちろん自分がどうなりたいかは私しか分からないですし、行動のリスクはいつも自分が取るのですが、
考え方として『私たち』と考えると、人を許すことも信じることも容易にできます。
私たちだから。
今まさに、つながりの中での私たち、全体の中での自分という考え方に世界中が変わらざるを得ない状況でしょう。
幸せとは、何を手にするかではなくて、どんな人になるかだと思います。
そして変化は、あなた自身になることで起きてくるものです。
今、その変化の時を、一緒に乗り越える機会です。
美しく楽しく愛してください!
一緒に考えましょう(^^♪